荷物を軽くしたい

転勤族、賃貸住まい。夫、高校生と小学生の子供の4人家族。引っ越しを楽にしたい&家事を手抜きしたいというズボラ心から物の取捨選択に励む記録。

実家片付けで母親と揉めなかった理由。

「実家片付け」と言いますと、

「片付けたい、捨てたい子ども」と

「現状維持をしたい、捨てたくない親」との対立で揉める

ということをよく聞きます。

 

我が家は片付け始めた頃から一切揉めませんでした。

 

その理由を書きたいと思います。

 

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 簡単に言うと、

私と母の「片付けたい欲」が同時期に高まったから。

 

やましたひでこさんの断捨離!

こんまりさんのときめき片付け!と

片付けの一大ブームのはじまったころ

私も母も思いっきりそのブームに感化され

「片付けたい!」

「身軽になりたい!」

という気持ちがお互いに高まっておりました。

 

 

 

そのころは母の非定型抗酸菌症(肺の病気です)が悪化して

医師の診断により在宅酸素療法を始めたころで、

24時間、食事やトイレやお風呂の活動中はもちろん寝るときも

常に酸素チューブを装着しなくてはなりませんでした。

 

在宅酸素療法の機械を設置してくれた業者さんが

家のすべての範囲に届くような長さの酸素チューブを用意してくれ、

母はその長いチューブをいつもひっぱって行動することに。

 

モノが多ければ多いほど、

酸素チューブは引っ掛かります。

 

そして、

酸素チューブは床を這うのでホコリがたくさんくっついてきます。

(除菌シートでそのホコリをとるという作業を母はいつもやっていました)

 

 

母が安全に、快適に、清潔に過ごせるような家にするには

とにかく不要なものを捨て、

掃除がしやすいようにし、

ホコリが溜まらないようにしたい!

 

私と母の片付けのゴールが一致したので

揉めることなく片付け作業をはじめることができました。

 

 

 

当時2歳前の長女(人見知りでこだわりが強く私のそばから全く離れない)の世話をしつつ、

呼吸がしんどくて身の回りのことができなくなっていた母の世話をしつつ、

その合間に片付け作業に取り組むという状況だったので

まるでカメの歩みのような進行具合でしたが、

帰省のたびに必ずどこかしらの捨て作業はするようにしていました。

 

夫が一緒に帰省したときには

夫と一緒にクリーンセンターに不要品を持ち込んだことも何度かあります。

 

 

捨て作業のときに、いつも母は

「もうすぐ死ぬかもしれないからね、

 使うかもしれない、っていうのはもう捨てるわ。

 絶対使うやつだけ残す。」

と言い、母の持ちモノの7割方は捨てることができました。

 

なので、

「子どもはこれいらないでしょ?と思うのに親は要ると言ってどうしても手放さない!」という類のモヤモヤはほとんどなかったです。

それはそれは潔い「捨て」でしたから。(笑)

 

 

意外と洋服が多く

バブリーな時代の肩パット入りのものもまだまだ残っていましたが、

少し動くだけで肩で息をするような健康状態だと

動きが制限されるような着づらい服や重い服、

温度調節が難しい服や

俗にいう”おでかけ用”とされる服は

「もう着ない!着れない!着ていく機会がない!」

と、思い切りよくどんどん手放していたと記憶しています。

 

 

もともと母は2階のこの洋間でずっと過ごしていたので

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ここの洋間のクローゼットは両親の服が置いてありました。

8割は母のもの。

備え付けのハンガーポールではもちろん足りず、

コロコロのついたハンガーポールや引き出しが

クローゼット全体にところ狭しと収納されていました。

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今は、右側に弟家族の礼服と残した荷物が少し。

 

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左側にはお雛様。洋服を捨てたから、お雛様を1階の和室からここに移動できました。

 

 

両親の礼服は、もう一つの洋間にまとめ、

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左が母、右が父。

 

 

母の普段着や必要なモノは

母が過ごしている和室の引き出しにすべて納めることができました。

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2018年12月に撮影したもの。空いている引き出しもあります。2019年末もリバウンドしておらず、片づけ作業不要でした。

 

 

実家のモノは父と母のものだけではありません。

私、弟、妹のものもたくさん残っていました。

 

私や妹の中学高校時代のセーラー服とか(笑)

高校時代の参考書や、短大時代の専門書、

趣味で集めていた漫画本も大量に置き去り。

 

片付け本に必ず書いてある「実家を物置にしない!」という言葉を噛みしめ、

母のモノは母が体調が悪い時には捨てていいかの判断ができないので

その間に自分の残したモノの捨て作業に没頭しました。

 

結果、私のモノで実家に残っているのは

祖母がくれた「お雛様7段飾り」「羽子板」

私の幼少時代からの絵や作品が段ボール1個分。

それと、今回の帰省で持ち帰った 私の卒業アルバム。

 

お雛様と羽子板は祖母が元気なうちは残しておこう、と母と決めました。

私の絵や作品、卒業アルバムは 私は捨てたかったのですが、

「これは絶対に捨てない。

 私が育児をがんばってきた証なの。」

と母が言うので残しています。

 

段ボール1個分の作品と卒業アルバム小中高短大の4冊なら、

すぐに捨てられるくらいの量なので

(母が亡くなったら私のものは全部捨てようと思っていますすみません)

まぁいいとするか、と思っています。

紙モノにはチャタテムシが発生するので嫌なのですが…

 

 

 

 

不要品を捨てて物が減るたびに、

何もない空間ができ、

ホコリやカビで汚れた場所も減り、

母が酸素チューブをつけたままでも動きやすくなり、

母の体調も格段に良くなりました。

(いまでは日常の家事や入浴トイレくらいの活動なら酸素吸入が不要になりました)

 

 

捨てて失敗した!というものもありません。

 

そうなるともう捨てることに迷いはなくなります。

 

 

休憩している母のベッドそばまで物を持って行って

「これいる?いらない?」と聞くほど

どんどん捨てる作業が楽しくなってくる私(笑)

 

何度か「あんたの捨てるスピードについていけない(;´Д`)」と

言われたことはありますが(笑)

片付けや捨てることで母とケンカになったことはなかったなーと

あらためて思います。

 

 

あ、そうそう。

父はモノを捨てられない片付けられない人ですが

父の部屋は触らない、父のモノは勝手に捨てない

ということを守り、

父のモノで汚れがひどいから捨ててもいいんじゃないか?と思うものは

父と一緒に確認し捨て作業をしたので

私が片付けたり捨てたりすることに文句は出ませんでした。

 

 

 

 

 

 

実家片付けで揉めなかった理由としては、

 

「片付け欲」の高まった時期が親といっしょだった。

・母の病気があったので「実家を片付けたい」という動機づけが明確だった。

・「安全で、快適にすごせる家にする」というゴールを、母と私で同じように描くことができた。

・私も母も死を意識していたので「今」使うかの視点からブレることなく捨て作業を進めることができた。

・親の意向を確認し「残したい」というものは、ちゃんと置いていた

 (ただし私が管理できる量なので容認できた、というところが大きい)

 

ということかなと思います。

 

 

 

今の状態にするまでに10年という長い時間はかかったけれど

揉めずに、順調に実家片付けができたなと思っていたのですが、

 

ですが!

 

2019年末の片付け作業で初めて母とケンカになったので

また後日書きます。(笑)

こんな終わり方でごめんなさい(笑

 

 

 

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