長女の使っていた鉢を捨てようかどうか迷っていたとき、
タイミングよく花をもらうことがあり植えてみました。
その後、7か月。
無事に花が咲きました!ヽ(´▽`)ノ
いままでどんな花も枯れさせてきた私。
最後まで育てることができて嬉しかったです。
ただ、毎日水やりをするということはできていないんです。
(水やりが「毎日」でなく「週に1回」「土が乾いた時」とかでもタイミングを逃す)
興味がない。
意識がそちらに向かない。
毎日水やりをするということがどうしてもできず、今回は
自然の恵み(雨)に助けられ、
外遊びをする次女の「お花の水やりしたーーい」というお手伝い熱に助けられ、
なんとか咲かせることができました。
「できなかったことができるようになった」かと言えばそうではないんですよね。
環境が、
・これまで庭がなくベランダに鉢植えを置くスタイルだった
(雨の恩恵はよっぽど強い雨が降らない限りなかった)
⇓
・庭にあり、雨の日は水やり不要
に変わったおかげで、自然に任せることができました。
・子育てと家事で精いっぱいだった
という時期から、
・子供たちが成長して自分でできることが増えてきた
という「環境に」変わったおかげで、
家事育児だけにしか行かなかったパワーがもう少し周囲に向けることができ
ギリギリ枯らさないタイミングで(笑)水やりができました。
それと
・私以外誰も花の世話をしなかった、花を気にかける人は私だけ
だったのが、
・お手伝い大好きの次女が一緒に花の世話をしてくれた、花を気にかけてくれた
ことも大きかった。
「できない人間」が「できる人間」には変わっていない。
私自身は変わっていない。
「花が咲くまで育てる」というゴールが達成できるように、
「環境」「やり方」が できなかった頃と変わっただけ。
できない自分はダメなやつだ、と責めるのではなく
「環境」「やり方」を変えてみる。
「ゴールは何か」を考える。
その「ゴール」を達成するためには
どんな環境にすればよいか
どんなやり方にすればよいかを考える。
それを考えるには、
まず自分がどういう人間なのかをよく知る必要がある。
毎日水やりをすることを忘れるならば、
・一緒に伴走してくれる人をさがす=次女
・水やり時間にタイマーをかける
という環境ややり方を考える。
または、
・他の用事で忙しくて手が回らない?それなら今はやめる!
(ゴール達成できないけど、失敗した;;と自分を傷めつけるよりマシ)
・自分には興味がないのだ!今後一切やめる!
というのも「自分を知る」ことで得られる道。
小学生のとき学校ではちゃんと花を枯らさず育てることができていたんですよね。
「みんなと一緒」に、あるいは「当番制」で水やりをして、授業で観察したり肥料をやったりして、ちゃんと花が咲いていた。
ひとりで花を植えて育てることができないのは「失格」だという気がずっとしていたのですが、
私は「花に興味がない人間」だから、
どうしても「花を咲かせる」というゴールを達成したいのなら
「庭に地植え」「鉢を庭に出す」
(自然の力=土の治水や雨を利用する)
「手入れの少ない種類のものにする」
(興味がないのでマメにお世話は出来ない)
「次女にお手伝いをしてもらう」
(ひとりではなく誰かと一緒にお世話する)
という環境ややり方を整えてみよう
私という人間が失格なわけではない
ということなんだな、と思うようになりました。
花に限らず、
勉強にしても、片付けにしても、仕事にしてもそう。
たとえば、学生時代の勉強なんかは
テストの結果で自分の弱点を知り、復習を重ねたり、
自分の集中力がどういうときに発揮できるか考えて
勉強時間と休憩時間のバランスを考えたり、
部活で忙しい人は隙間時間をうまく使ったり、
自分の家で勉強するのがよいのか図書館などの人のいるところがよいのか、
集団の授業形式がよいのか個別指導型がよいのか、
それぞれ自分に合う「やり方」「環境」を試行錯誤して見つけて
「志望校に合格する」というひとつのゴールに達成できているわけなんですよね。
私は受験失敗したのですが、↑がひとつもできてなかったな。
「私はこういう人間だからこうしてみよう」じゃなくて
「みんながこうしてるからこうするべきだ」みたいなやり方でした。
まじめに机に向かっていたけど実りが少なかったなぁ…
なにかに成功している人や目標を達成している人というのは、
自分のことをよく知った上で
工夫して試行錯誤し続けた人であることが多いので
とても魅力的に感じるんだなぁ。
花から話がずれました^^;
今回花を育ててみて、ひとつ「自分」を知ることができました。
また花を育てるのか、
それともそのパワーを自分の興味のある分野に向けるのか
まぁそれも今はきっちり決めずに
そのときの気分にまかせてふわふわと人生を楽しんでみます。(´▽`)