荷物を軽くしたい

転勤族、賃貸住まい。夫、高校生と小学生の子供の4人家族。引っ越しを楽にしたい&家事を手抜きしたいというズボラ心から物の取捨選択に励む記録。

「学校にいきたくない。家で勉強してるほうがいい。」という長女。

緊急事態宣言が解除された地域も出てきました。

 

我が家の子供たちも、

そろそろ学校や園が再開することになりました。

 

そんなときに長女が

「私、学校いやだな。いきたくない。

 家で勉強してるほうがいい。

 なんで学校に行かなきゃいけないの?」

と。

 

 

 

なんで学校に行きたくないか。

 

それは、長女が「人に気を遣う性格」「他人からの評価を気にする性格」だからです。

 

 

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いま、せっせと隙間時間をみつけてはこどもたちの作品をフォトブックにする作業をしているのですが、

長女が年中さんのときの作品の中に、先生からこんなメッセージが入っていました。

 

「〇〇ちゃんのよいところは

 どんな子ともすぐになかよくなれたり、

 いつもしんけんにせんせいのはなしをきいたり、

 なんでもがんばろうというきもちをもつところだとおもいます。」

 

 

園や、学校では 先生のこの”メッセージ通りの子”なんです。

 

誰かに強要されているわけではなく、

「人にはやさしく」「みんなでなかよく」「自分には厳しく」

を無意識にやってしまう。

 

先生の期待を敏感に感じ取り、

できるかぎりの力を振り絞って、期待通りに動けるように心血を注ぐ。

そして先生から褒められ、おともだちに好印象を持ってもらうのが喜び。

 

そんな子です。

 

ゆえに、先生やお友達からの評判はよく、優等生なのです。

 

 

 

3月から登校自粛になった時、

長女は「家で勉強するほうが楽」だと言いました。

 

学校の授業時間のように、

・発言をする必要がない

(学校では発言回数をチェックされます。1日1回発言が目標)

・誰かの授業と関係ないおしゃべりもない

・グループワークで全員が発言できるように気を遣う必要もない

(発言しやすいような空気をつくる、発言相手が傷つかないように気をつける等を自分がやらなきゃと思っています)

・いつも行動に気をつけておく必要がない

(だれかの為に行動しよう、気づいて動こう、と先生から言われることもあり、学校では常に周囲に気を配っている)

・移動時間や休憩時間で、趣味の合わない友達との会話に気を使う必要もない

・学校できっちり勉強したあと家に帰ってさらに「宿題」があったけどそれがない

 

 

家で勉強するのが最高(`・ω・´)

家に居てもちゃんと勉強できたよ?

なんで学校に行く必要があるの?

 

私、友達がいなくてもいいかも。

放課後はこれまで毎日友達と遊んでいたけど、

いまはもう誰かと遊びたいと思わない

 

と言うわけです。

 

 

人に気をつかわないで済む生活、人の目を気にしないで済む生活のラクさに、

長女は気づいていしまったんですね。

 

ああ、私の子だ(笑)

 

4月からの新しいクラスが、

長女と親しい子があまりおらず、苦手だなと感じる子がたくさんいたようで

そのことが一番「学校にいきたくない」という気持ちの原因らしいですが。

 

 

 

長女の「どうして学校にいかないといけないの?」への、私なりの答え

 

1人で淡々と勉強を進めていける子もいる。

でも、おうちでは勉強ができない子もいる。

「みんなといっしょじゃないと勉強しようという気持ちになれない子」

「おうちの事情で、勉強できるような環境ではない子

 (貧困・DV等についてもざっくりと説明しました)」

「両親が働きに出ていて、自分ひとりで時間を考えて行動しないといけない子」

と家庭での事情は様々。

 

「勉強する環境」が「家」だと、どうしても差がでてしまう。

 

「学校」で勉強するということは、

みんな同じ場所で、おなじ内容の授業を受けることができる=平等に学ぶ機会がもてる。

 

だから「学校」があるんだと思う。

 

 

そして、学校のよいところは

勉強、学びに必要なモノがそろっているところ。

 

理科の「ふりこ」の実験や、「ものの燃え方」の実験は家ではできなかったよね?

「ちっ素・酸素・二酸化炭素のボンベ」は家にはない。

「二酸化炭素がはいったビンのなかにろうそくを入れると火が消えた」というのは動画で知ることはできる。

でも、実際に実験をやることはできない。

 

学校では、それができる。

実験に必要な機材が安全に適切に管理されて、

「人に勉強を教える」という資格を持った「先生」の指導のもと 

誰もが実験を実際にやることができる。

 

音楽や図工、体育も、習字も

どんな家庭環境のこどもであっても

みんな平等に経験する機会がもらえる。

 

そういうために「学校」があるんじゃないかな。

 

 

「学校」でいろんなことをやる機会をもらって、

「算数がすき」

「理科の実験が好き」

「調べ学習が好き」

「英語が好き」

「歌が好き」

と自分の好きなことや苦手なことを知ることができる場所でもあると思う。

 

学校の理科の授業で実験が好きになって研究職になったという人がいるかもしれない。

そういう人たちがいま、コロナウイルスの研究を一生懸命やってくれているんじゃないかな?

 

としたら、「学校がなくてもいい」ということには思えない。

 

みんなが同じ条件で平等に学ぶ機会がもてる「学校」は必要だと思う。

 

〇〇(長女)は、

「学校でいい子でいなくてはいけない」

「いつも100点じゃないといけない」

とどうしても思うけど、

「学校はいろんなことを経験する場。好きなことを見つける場。

 失敗してもいい。100点じゃなくてもいい。」

と思えるようになれると楽になるんじゃないかな。

(周りがそう思わせない雰囲気なので難しいですが…)

 

人間関係については、

よくよく聞いてみると

「外国のアイドル談議に花を咲かせる子との会話がつらい。

 自分が興味がないから、話してていやだなと思う。」

ということらしい。

 

 

相手も、長女の好きなアニメの話に合わせるのはつらいかもよ?

趣味の合わない人だから「なんかあの子イヤ」というのはまた違うよね。

 

 

「ああ、外国のアイドルが好きな子なんだな」で終わり。

それ以上でもそれ以下でもない。

そこに好き嫌いの感情はのせない。

 

合わせる必要はない、

輪の中に自分から入らない(ひとりぼっち最高)、

どうしてもその場にいないといけないときは聞き役に徹する。

 

 

私も長女とまったく同じ性格なので、

こんなふうに私が40年で学んだ知恵は伝えました(笑)

 

それが正しいかわかりませんし、

長女に合っているかもわかりません。

 

 

 苦手だなぁと思う人でもよく話してみると苦手意識がなくなる

なんてこともよくあることで。

最初から「苦手」と避けていたら、そんな学びはないままですから。

 

 

 

もし人と付き合うのが苦手だ、と思ったら

人とできるだけ関わらないで済む仕事を選ぶことを考えて行けばいい。

 

ただ、まったく人と関わらないというのもなかなか難しい。

 

長女は「まめきちまめこニートの日常 Powered by ライブドアブログ」のまめこさんが好きなのですが、

「1人で家で漫画を描いて収入を得ているいるまめこさんでも

 本を出版するときには出版社の編集者さんとやりとりしてるでしょ?」

と例を挙げてみました。

 

人との関わりがゼロの職種はかなり限られている、とすると

いろんな人と関わる経験があったほうがいいわけで。

 

 

人間関係を構築する経験、
学業を学ぶ経験、
そういう「経験」ができる場所が「学校」なんだろうと。

 

 

 

話をしたあとの長女の心境

 

話を重ねてみて、

長女は

「ぜったいに中学受験をがんばりたい」

と言いました。

 

長女には「好きなこと」「やりたいこと」があり、

それができる中学に行きたくて受験勉強をしています。

 

好きなことが同じという仲間がいる学校で、好きなことに没頭したい。

 

小学校は、中学受験をするために必要だから 行く。

 

長女はそういう結論に至ったようです。

 

 

 

いろんな考えがあって当たり前だから、それでもいいんじゃないかな。

 

 

 

もちろん学校に行かないという選択もあります。

 

「みんなで」「いっしょに」「同じように」を求められるのがいまの学校なので、無理をしている子がたくさんいます。

「自分のできることから」「自分の理解力に合わせたペースで」学びを進められるといいのになぁと個人的には思います。

 

ただ「学校」という場は存在するべき。

 

たくさんの人間が同じ場所に集まるということを避けなければならない今、

「学校」はウイルス感染の観点では危険な場所であり

第2波、第3波の状況次第では

「学校」に行かず「オンライン授業」が学びの主となる可能性もありますが

それでも「学校」は「まなびの拠点」として必要な場所だ と

長女と話していて思いました。

 

 

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