荷物を軽くしたい

転勤族、賃貸住まい。夫、高校生と小学生の子供の4人家族。引っ越しを楽にしたい&家事を手抜きしたいというズボラ心から物の取捨選択に励む記録。

王様の耳はロバの耳ー!と叫びたい

 仕事が終わって時計を見ると、ちょうど小学生次女の下校時間に間に合いそうで、自宅ではなく学校へ向かった。次女が友達Aちゃんと2人で昇降口から出てきたところだった。

 

 その日の学校のことや休みに何をしたかをいつもいろいろ話してくれるAちゃん。次女は家でほとんど学校や友達のことを話さないので、Aちゃんが教えてくれることは貴重な情報だったりする。

 連休中にどこかに行った?とAちゃんに聞かれたので、プリキュアの映画を観に行ったんだよと答えると、

「え!

 プリキュア!?

 プリキュアって小さい子が見るんだよ!

 もう私みてないよ!」

とAちゃんはびっくりした顔で言った。

横にいた次女が私の腕を叩いて、何で言うの!という顔で私をにらんでいる。

 

ああ、そうだった。

これが世の中のよくある反応なんだった。

 

ブログ界隈にはアニメを熱く語るたくさんの大人たちがいる。

情報量の多さ、考察の深さや洞察力にいつも感心しきりな私は、大人がアニメを見ることに可笑しさは感じないし、年を重ねても変わらない好きなモノを持っていることや好きをどんどん貫いているさまに尊敬の念すら抱く。

 

なので、

「プリキュアは小さなこどもが見るもの。小学生はもうプリキュアから卒業。」

みたいな価値観の存在をすっかり忘れていて、Aちゃんの反応がとても新鮮に感じた。

 

と同時に、すっかりブログ界隈の人になっている自分に気づいてなんだか笑えてきた。 

 

「小学生になってから観てもだいじょうぶだよ。」

「中学生のお姉ちゃんもお友達と一緒に見に行ったし、次女ちゃんのとなりには高校生くらいの女の子たちがいて、映画を観てすごい泣いてたよ。」

 

笑いを抑えられずに私がニヤつきながら話したものだから、Aちゃんがすごく困惑した表情になっていて、また笑ってしまった。

 

 

 

プリキュアが好きな中学生も高校生も大人もいていい。

それは個性なのでどんどん公言する世界であれと思う。

ただ、人間は、その人の好きなものから無意識のうちに何かしらのレッテルを貼ってしまうことが往々にしてある。そのレッテルが自分の欲しい評価とかけ離れてしまいそうだと考えれば『好き』は公言しにくくなる。

ゆえに表向きの人間関係とは別の場所で好きを語る人もいる。

顔が見えない場所で語り、思いっきりアウトプットする。

 

これは一見ネガティブなように見えて、とても大事な作業。

多くの人が『理性的な思考で』『感情的にならずに』『周囲に気を配って』『まわりの人と協力して』立派な大人として社会活動をしているおかげで社会は回っている(と思っている)。

きちんとした人間でなければならない会社や学校という外面(そとづら)の生活活動とは別の、1人ひとりの内面が満たされる時間や空間が誰しも必要だ。

友達とおいしいものを食べながらおしゃべりしたり、スポーツで汗をかいたりと、ネットの外の世界で満たされる人もいるが、私はブログという空間を選んだ。

 同じものが好きだという人は広い世界にはきっと星の数ほどいるのだろうが、自分が生活する圏内で出会えるとは限らない。それがブログにアウトプットすることで分かり合える人に出会う確率がぐんと高くなるからおもしろい。

 

 ブログには好きなことを熱く語るだけではなく、日常の喜怒哀楽すべてをつづっている。とくにモヤモヤを吐き出す場所としての存在意義が大きい。

 暮らしていると、あれやこれやモヤモヤとしたものが生まれるもの。人間関係、仕事のやり方、家族の在り方。モヤモヤを吐き出さないと、脳内にずっとモヤモヤが停滞してしまい苦しくなるので、モヤモヤを言葉にして吐き出す作業が必要になる。

 

 紙やノートに書きなぐるという手もあるが、脳内で言葉が流れるスピードに書くスピードが追い付かず、もたついているうちに言いたいことがわからなくなってしまう。脳内に流れている言葉をできるだけ同じスピードで書き記したくて、タイピングで文字を打ち出す方法を選んでいる。

 

 適当なフォームにタイピングして言葉を書き出すだけでもいいのに、なぜブログに書いてわざわざ公開するのか。このモヤモヤを、誰かが読んでも理解できるような言葉をセレクトしながら表現することに意味があると思っているからだ。『誰かが読むかもしれない』というちょっとした緊張感があることで、誤解を生まないように、自分の想いがより正確に伝わるように、自分の感情にできるだけ近い言葉を探そうと意識する。モヤモヤは絡まった毛糸みたいなもので、毛糸の中心には何かが隠されているのにすっかり見えなくなっている。

 

このモヤモヤする気持ち、考え、感情にぴったりな言葉はなんだろう。

 

言葉を探してタイピングしているうちに、モヤモヤの毛糸が少しずつほどけてくることがある。一記事書くだけでは毛糸をほどくに至らず、記事を書いた数日後だったり、何記事も書き続けたりしたあとに、ようやく中心が見えてくることの方が多い。

「そうか私は悲しかったのか」

「そうかアレで怒っていたのか」

「なーんだカンタンなことだった」

と急にスッキリする感覚になる。

絡まった毛糸の中心には、心の奥底に眠っていた記憶や感情があって、たいていそれは『自分が一番大事にしたいこと』だったりする。

 

 ブログに書くのではなく、誰かに話すことでモヤモヤを解消する方法もあるのだろうが、残念ながら私という人間は『書く』ときには言葉が探せるのに、『話す』ときにはまったく言葉が浮かばなくなってしまう。そのうえ、私の話し方に何かしらの問題があるのか、HAPPYな話題であってもただの自慢に聞こえてしまったり相手を傷つけてしまうことがある。実際にそういう経験を何度もしたので、対面で人と会話するときは常に警戒している。ネガティブな話題は私自身が聞いていて気分が沈んだり引きずられてしまうタイプのため、相手の迷惑になるのではと、これまたそう軽々と発言できない。

(そういえばここ数年「いいお天気ですね」「今日は暑いですね」くらいのさらりとした挨拶程度の会話しかしていない。)

 

だからといって黙っているわけにはいかず、どこかで、何かの方法で、脳内に生まれたモヤモヤを吐き出さなければどうにもこうにも息苦しい。

 

王様の耳がロバの耳だと知った床屋が我慢できずに穴を掘って叫んだ、あの話に似ているかもしれない。

わたしにとってブログは、床屋がせっせと堀った穴みたいなものだ。

 

穴に向かって、

 

uni-ball Signoの0.28書きやすいー!愛す!

 

夫が500円多く請求してきて腹が立った!

その程度の金額で?いやいや金額の問題じゃないわ!

 

子どもが自ら片付けた!

がんばって片付けてきてよかった!

 

あの思い出の品をとうとう捨てたぞー!

もうなくても大丈夫と思えたんだよー!

 

めっちゃ汚かった場所を掃除した!

スッキリしたー!

 

と、叫んでいるんだ。

 

こうしていま書き出してみると、本当に他愛もないことだ。こんなことわざわざブログに書いて数多の人が見る場所で公開しなくてもいいんじゃないかと思えてくるのだが、わたしのように他愛のないことを吐き出す場所がなくて、穴を掘って叫びたい人はけっこういるのではないか。

 

せっせと穴を掘って

王様の耳はロバの耳ー!

と思う存分叫ぶことができる場。

 

どこかから同じように

「王様の耳はロバの耳ー!」

と叫んでいるのが聞こえて

え?…王様の耳はロバの耳って知ってるの…?

と分かり合える人に出会える場。

 

王様の耳がロバだと知ってる人がいることで、言えなかったのが苦しくて…としんどさを吐露してホッとする場。

 

「ロバ耳が動くのかわいいよね」

「ギャップ萌え」

とポジティブに捉えている人がいたり、

「ごめん...ちょっと苦手…」

と受け入れ難さを隠さずに発言する人がいたり、

「人間にロバの耳がついているなんて何かの呪いでは」

「いや病原体によるものかもしれない」

と要因を深堀りしようとする人がいたり、

1つの事象を見た時に人は十人十色の捉え方をするのだと知る場、気づきをもらえる場。

 

「ロバ耳かわいいって私も思ってたんだよね!」

と誰かと想いを共感できる場。

 

わたしにとってブログはそんな場所だ。

 

 

 

 やらなければならないこととやりたいことで目まぐるしく日常が流れていく中で、あえて時間を割いて、ブログに気持ちを吐き出す。それを続けてきたことで、自分が何が好きで何を大切にしたいのかがだんだんと浮き彫りになってきた。

 読み返してみると、数年前と考えが変わっていることもあるが、好き勝手書いている割には『自分や家族が健康であることが一番大事』という軸は案外ブレていない。その軸を自分の中に発見できたおかげで、ものごとを選択・決断するときに自分の判断に自信を持てるようになってきたかもしれない。世に溢れている情報や人からかけかれた言葉ひとつにふらふらと振り回されなくなってきた。

 

 そして、自分の気持ちや考えに近い言葉を探し、ブログに文章でアウトプットするようになってから、対面で人と話すときに以前よりもわずかながら言葉が思い浮かぶようになった気がする。(気がするのだ。)

 モヤモヤして不機嫌や不安を周囲にまき散らしていたのが、モヤモヤを文章化して気持ちを吐き出すようになってからは機嫌良く暮らせる日が増えてきている。まるで、泣くことでしか意思を伝えられなかった赤ちゃんが、少しずつ覚えた言葉で意思を伝えられるようになってきたみたいな成長。齢44歳にして、まだ赤子。

 

 さて、我が家の子供たちはわたしのDNAをしっかり受け継ぎ、友達と会話するのが苦手だという自覚をすでに持っている。脳内にグルグル言葉がまわる特性もどうやら同じらしい。わたしのように、あいさつ程度の会話しかせず、表面上を取り繕って生きる道をいくのかもしれない。

 まあそれでもいい。40過ぎてもまだまだ成長できると、ブログを通してわかったから。

 自分の気持ちを吐き出せる場所をどこかに作って、それぞれのペースで、のんびりいこう。

 

 

特別お題「わたしがブログを書く理由

 

 

今日は久しぶりにいい天気です(´▽`)

 

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